博士の失われた自省録 #3

#3 Reasonable Doubt

開けた場所で――ここでは遍くそうだが――ひとしきり自分の武器を興味深く振り回した後、Shadeは満足気に戻ってきた。

 

異世界が気に入ったのね。貴方は戦いが好きなの?」

「ん? いや、別に……」

 

彼はまだ惚けているように、獲物を恭しく腰に取り付けた。私は彼なりの照れ隠しだと思うことにした。

 

「まあ、生憎ここは人の暮らしに適した環境とは言えないわ。元の世界に帰る方法を探しましょ?」

「……そうだな、うん」

「そこで聞きたいのだけれど、脱出方法は侵入方法と表裏一体であるはず。余程の事がない限り異世界に飛ばされるわけがないわ。貴方はここに来る直前は何をしていたの?」

 

彼は顎に指を当てて考える素振りをした。彼をよく知る人ならば、それは彼が疚しい事を隠すときの癖であると知っていただろう。

 

「『擬空間監視局』という、異世界との交信を試みる団体の放棄拠点を探索していた。そこで確か、変な端末を見つけて……操作した」

 

推測するまでもなく初っ端から現れた「答え」に私は仰け反った。

 

「それってエージェントの倫理規定に抵触しないかしら……どんな操作?」

「確かチャットアプリで『接続試験』がどうとか……いや、放棄拠点だぞ? 長い間放置されてたから、異常性を失っていると高を括ったんだ」

「異常性のない数年間も放置された端末が正常に操作できる時点でおかしいわよ……もう分かったわ、貴方が転移した原因はそれで間違いない。ここはその『擬空間』なのかしらね」

 

彼は気恥ずかしそうに髪を掻き分けた。

 

「上には内緒にしておいてくれよ……で、そのデカい生成装置がどうにか君を連れてきたと」

「それは怪しいわ。私はこの子を数えきれないほど使って論文を書いてきたから。ただ、私だけが巻き込まれる理由があるなら――」

 

私は口を噤み、生成装置に目をやった。静かに稼働する躯体が時折振動し、近くの草を靡かせる。

 

「その装置を調べる必要があるな……ん、前回の生産からかなり経つだろ? 次が生まれる前に一旦稼働を停止させてくれ」

「残念だけど、それはできないわ」

 

目を丸くする彼を他所に、私はまた杖を取り出す。この杖はShadeの銃や鋸と違って動力源を必要としないので、標準装備として重宝されているのだ。

 

「停止操作が効かない。元々動力もなしに稼働してるのが異常なんだわ……生成頻度と難易度を最低にしてこの状態よ」

「操作が効かないなら力づくで――」

「私の相棒に穴を開けるなんて言わないわよね? 唯一の手掛かりを打ち壊そうとするなんて」

 

極めて和やかな議論を他所に、ついに装置の赤ランプが点灯し、新たな変種の到来を告げた。

 

「『面積』の変種が来るわ。油断しないで」

 

彼は頷きで答えた。身震いした装置から吐き出された焦茶色の岩塊が、質量を持って急速に襲いかかる。

 

 

 

[Q3:面積]

 

 

 

今や光のエネルギーを打ち出すことを覚えた銃は、見かけによらず素早く動き回る岩塊の表面の凹凸を的確に削っていく。茶色い砂埃が上がり、石片が一帯の草を掻き乱す。杖の射影に撃たれて急所を曝け出しているにも関わらず執拗に飛び回る岩塊に、俺は少し顔を顰めた。

 

俺がさらに引鉄に力を込めようとすると、察したかのように岩塊は射線を逸れ、横のCady目掛けて速度を上げた。彼女は緩い体勢で杖を向けている――まずい、傷付けさせるわけにはいかない。焦って腰の計数棒に手を伸ばした矢先、彼女は何かを呟いた。

 

杖の寸前の虚空が歪む。瞬間、伝播した歪みが周囲の空気を不規則に吸い込んだ。古びた通信機器のような低い唸りが付近を劈いた。彼女を中心に空間が一回転し、金髪が靡き、草が揺られ、俺は本能的に耳を塞いだ。何も知らずに突っ込んできた岩塊は、俺の心配とともに粉々に砕け、跡形もなく虚空に飲み込まれた。

 

草の動揺が波紋のように広がっていき、次第に視界から外れたあたりで、彼女は杖を手放して腰から崩れた。

 

「博士!」

「……大丈夫よ、この程度。使用者に被害は及ばないようにしてある……これでお互いに秘め事が出来ちゃったわね」

「改造杖か。『擬空間』の変質を受けているとはいえ、ペンパ用とは思えない威力だ」

「世界のルールに一寸触れるだけよ、とある理論を使ってね」

 

彼女は立ち上がって杖を拾い、それから白衣を軽く払った。水と土埃で少し縒れている。

 

「話を戻しましょう。私達には二つの仕事がある……生成装置を調べることと、この擬空間を歩くことよ。貴方、測量は得意?」

「ああ、俺に歩かせる気だな。賞賛に値するアイデアだ」

「勿論考えあってのことよ! 新しい『友達』がいればそれで良し、仮にこの空間に有限の『終わり』があればそれも良し。試す価値はあるわ」

「俺が無限の旅に出てる間、君は一人だけで戦うのか」

「……そうよね、貴方も変種たちと戦っていたい性よね」

 

彼女は自分の安全を歯牙にもかけず、俺を見て目を細めた。

 

「いや、それは全く問題じゃない。俺が言いたいのは、君に万一の事があったら……」

「そう? 我慢してくれるのね。私は大丈夫よ、切り札は見せたでしょ。こう見えて私も戦いは好きよ。これしきのペンパの一や二、軽く撚れるわ」

「俺の考えを何だと思って……まあいい、了解した」

「あっ、待って。これを持っていくと良いわ。心細いでしょう」

 

彼女は俺の手をとり、何かを握らせた――手を開いてみると、それは無彩色の星型の玉石に短い鎖がついた装飾品だった。

 

「安全の護法よ! それとも験担ぎはしない質かしら?」

「……恩に着る」

 

俺はそれをポケットに仕舞い、軽く手を振って真っ直ぐ歩き出した。Cadyは両手を胸で重ねてにまりと微笑んだ。

 

彼女をよく知る人ならば、それは彼女が自身のない時に現す癖であると知っていただろう。残念ながら、彼がそれを理解する機会は訪れない。